昭和47年11月06日 朝の御理解
御理解 第2節
『先の世までも持って行かれ、子孫までも残るものは神徳じゃ、神徳は信心すれば誰でも受ける事が出来る、満てるとゆう言う事がない。』
神徳の中に生かされておるのですから、神徳が受けられると言う事はいわゆる絶対の物だと思うですね、神徳と言う特別何処からか持って来る事はない。言うなら神徳の中に私共は浸っておるのですからね、いかにその浸っておりましてもね、それをそれとも感じきらない、言うならば神徳の中に、言うなら御恩恵の中にある事をあるとも感じきらない、それでは神徳の受けようがないと言う訳です。
お道の信心の、言うならば根本になる所は、天地のいわゆる御恩恵又は御恩徳と、御恩徳を御恩徳と悟らせると言う所もあると思う、言うならば親を親と分からせると言う所も有る、親を親と分かった時に、初めて親と子としての関り合いが、いよいよ生き生きと現れて来る、それが神徳が現れて来ると言うのである。例えば私共例えば親子人間のいわゆる親子、その子供がです親を親と思わんと云うならいざ知らずですけれども、親と子としての所謂、関り合いに元ずいて生活が出来ておるとするならば。
親はその子にです係り、又子は親に係り、あいよかけよで立ちゆくと云う、道が自ずと生まれて来ておる。そして親の為なら子の為なら、惜しい欲しいも無くなる、程しのものが自然生まれて来るでしょうが。ああこの財産をこの子供に譲らんならんと思うたら、」もう残念でたまらんと言う親はないでしょう、と言う程しにです、私共と言わば、天地の親神様とのいわゆる間柄、続柄と言う物は、その様に蜜なるものなのですから、それを私共が、それをそれと分かった時。
それをそれと信じきれる時、初めて神様は、その氏子に対する言うなら、御信用と言う事になるのです。それはお道の信人をさせて頂けば、御恩徳の事も天地の親神様の御恩恵の事も又は私共と神様との、その続柄と言った意味に於いてでもです、お話を頂けば、成程と合点が行きます、行きますけれども。今日私は信心をすれば誰でも受けられるのが神徳だと、此処にハッキリと教えられておられる、お道で言う信心とはどう言う事かと言うと、神を信ずると言う事、親を親と信ずると言う事。
だから親も又子を信ずる事になる。神を信ずるから又は氏子を信じて下さる。信じ信じられる仲。其処から例えば我が身は神徳の中に生かされてある、神徳の中に浸っておるのですから此処に。だから神徳が頂けないはずがない。所がお互い信心はしておりますけれども、そう言う信心を悟りえず、今天地の開ける音を聞いて目を覚ませと仰るが、眼を覚ます程しの言うならば、悟りと言うものが出来ない。素晴らしい表現だと思いますね、今天地の開けるる音を聞いて眼を覚ませ。
と第一節に教えておられます様に、第二節に到って、その天地と私共、神様と私共の関り合いと言うものが、翻然として悟れた時に、いわゆる真の信心がなされて来る、そこに信じ信じられる仲が生まれて来る、なる程誰でもお徳が受けられると仰ゃられたはずだとこう思うです。しかもそれはあの世にも持ってゆけて、先の世までも持って行かれ、子孫までも残るものは神徳じゃとこう、そこてですね。
私はあのうそう言う、ま御神徳を受ける言うならば機会、チャンスです、いや本当に成程神様だなあ、親様じゃなあと、感じとられるチャンスとでも申しましょうか。節から芽が出る節から折れる、この二つの生き方がある、信心させて頂いておるとね。節と言うのは折れ易いけれども、そこを大事にして行くとその節から芽が出るのです。ですからねどうでも此の節をね私共の生きて行くその人生航路の上に於いてです、大なり小なり様々な節があるのです。
一日なら一日の内にでも、はあ今日の節はあそこだったなと思う様な事が有るのです。まあ例えて言うならね、一日のうちに情けないなあと思うた、腹が立つなあと思うたらそれが節なんです。だからその節を大事にする。私は今日は御神前でこんな事を頂いた。先日から久富さんが十日位参って来られなかった、段々おかげを頂いたけれども、参って来られないと言う事を聞いた時、朝の御理解に本当に私はね、二十年間皆さんに何を聞いてもらっただろうか、と言う事をお話したでしょう。
そして何を皆さんに分かってもらっただろうか、分からんのじゃない分からせ得ていないと言う事がです、もう悲しいやら寂しいやらと言う一日でした。その朝の御理解、そんな事じゃなくてあの御理解を頂いたのですけれどもね、そんな御理解頂いたでしょう。ですから私のあの一両日と言うものはもう第一ものも言わなかった、もーお風呂の中に一人で入っとっても、夕方入りますから丁度暗くなる頃ですけれども、電気点け様とも思わない、御飯が遅うなろうがどうしょうが。
コタツの間に、茶の間に入らせて頂いて、まあ持って来てくれりゃ頂く、「おいどうしよるか」等と言わんで済む。もう静かに静かに只分からせ得ていなかった事の悲しさと言う事か寂しさと言うか、それを自分の心の中に反省せさて頂いてじっと、思い巡ぐらせて頂く、二十年間と言う自分の信心をです、相済まん事だなあとこうお詫びをさせて頂いておるとですね、もうそこから湧いて来る有難さと言うか、不思議なもんですよね信心とは。もうこう言う時ですから、隙が出来るはずがないです。
ずうっと朝から晩迄、寝てもさめても、言うならば相済まんなあ、相済まん事だなあと、反面にはまあ何と寂しい事であろうか何と、悲しい事であろうか、私の信心を頂いておって、此処の所がどうして、私に取れば、どうしてこんな事分からんのだろうかと、そう言う寂しい思いをする、悲しい思いをする、所が信心とは有難い、どんなに寂しかっても悲しかっても、結局は向ける所は神様なのである。
ですからその寂しいからこそ悲しいからこそ、でなからなければ味あわれない味わいと言うか、信心の親味と言うか、もうそれは本当にそうです、悲しい事が寂しい事が有るからこそ、頂けれる信心と言うのが有るのです。だから私今日じっと自分の事を思わせて頂いてね、ははあ毎日毎日ああ言う状態でそれこそ黙って治める、まあいっちょう向こうの黙って治める、なあにも言わんで済む、本当に死んだ気とはこう言う事であろうか、死んだ気と言う事は一生懸命と言う事である。
だから日々こう言う状態であったらさぞ良かろうなと思った、私は今朝。そしたらね、「愉快な時には愉快な信心、面白い時には面白い信心がある」と神様は仰った。悲しい事が起きて来る、寂しい事が起きて来る、淋しい事が起きて来る、腹の立つ事が起きて来る、腹を立てなければ頂けない信心があると言う事なんです、私はもう本当に、金光さまの信心は素晴らしいなと思った。
あの一両日のあの私の気持ちと言うものはもう本当に信心の隙と言うのは出来ようがない程しに、もう蜜なるものであり、しかも私の心と言うものは神様に向け通しに向けられてお詫びさせて頂く。お詫びとか願いとかお礼とか言う、結局答えは一つなのだ、詫びが適えばおかげになる。願いが通ればおかげになる、お礼が通ればおかげになる、もう結局同んなじなんです。
と言うてそんならそう言う寂しい悲しいと言う事ばかりで、ああ言う気持ちと言う物はです、寂しい悲しいと言う思いをしなければ頂けない信心と言う事なんです。そして段々日が経つに従って分からせられた事はです、昨日はこう言う事を頂いたです。ある方がある願いに、いや、しかもそげん所迄あんたは考えてくれておるかと言った様なお届けであった、そしたらね「合楽のふところ刀」と頂きました。
はあ考えて見れば、この人は確かに合楽の懐ろ刀だなと思う節節があるのです、いざと言う時に役に立つ人、合楽の懐ろ刀だと。昨日は壮年会で御座いましたから、私も中ばから入らせて頂いた、昨日は久富先生が二回にわたってお夢頂いておられる、そのお夢の中にですね、新宮皇后に対する所の武内のすくね、いわゆる高良山がですね、赤ん坊を抱いておる絵が有りましょう、善導寺の久保山に有ります。
見事な絵がね、それを頂くんですよ。言うならば、どう言う事に成りますか結局、久富先生あたは、合楽の執事と言う所であろう、支配人と言う意味じゃないですね、執事と云うのがあろ、例えば、大久保彦左衛門のごたるとのやかましゅうなかとと言う、もうその教会の隅から隅迄が、あの人でなからな分からんと、言う位にそれは、信者の上にも、家庭の上にもどう言う上にも、そう言う働きがなされる様な、名執事にならなければならない、と神はその様に思うておるぞと言う事であった。
それで秋永先生は信徒会長として、まあ合楽の総支配人と言う所であろう、久富繁雄さんは言うなら私の相方を勤めて下さる人である。昨日頂いたその人は愈々何か合楽にと言う時には、必ず懐ろ刀としてのお役に立つ人です、そお言う様々な御用の面でも御用受け賜っておられる方達が合楽には沢山有るから合楽は立っておるのです。段々久富さんがお参りにならない日が重なって来るに従って分からされた事はです、私は何時も言うならば、もうとに角日本一有難い私にならせて頂こうと。
是は私の目指しなんです、日本一と言う事は世界一と言う意味にもなるのですよね。もう一生涯そこにかけて精進させて頂こう、頭が悪うても器量が悪うても、有難くなると言う事には、誰でもが有難くなれるんだ、誰でも信心すれば御神徳が受けられると言う事。だから是は私だけの専売特許じゃなか、皆さんも私も日本一の有難い私にならせて頂こうと思える訳なんです、ね。もうこちらは合楽一でええと言う人もあるかもしれない、けれども願いはやっばり遠大な所におかなければなりません。
そう言う私自信が日本一を目ざしておるのですから、その相方が何時迄でも同じ信心にぐるぐるしとったんじゃ相方が勤まらない。相方とは浪花節がおるならその相方と言うのがおりましょう影の三筋と言うのが。合わなくなって来る私がどんなええ声持っておっても相方が間違えたら、その良い声が出らんごとなってくる出されなく成って来る。どうしてもその浪花節さんと相方さんが一緒に、芸が上達して行かなければ本当の浪花節にならない様に、繁雄さんはそう言う意味で私の相方を務めて下さる人であるから。
成程、此の様な事と思っておったけれども、此の様な大変な事の中からです、考えて見れば見る程に、もう二十数年前になりますが、光橋先生が亡くなりまして、亡くなる何か月か前に、光橋先生が久富さんの所に蚕さんを一駕籠持って来た。「繁雄さんお願いします」ち 蚕さんと言うのはです、段々桑をむりむり食べて、そしてあれが段々食い上がってしまう、食い上がってしまうとまゆの中に入ってしまう。
私共は信心させて頂いて、むりむりむしゃむしゃ食べる時代もあります。我情がなくなり我欲がなくなりそして、生神金光大神、いわゆる生神を目指しての信心が金光教の信心なんです、生神とは此方がおかげの受け始めであって、皆んなもその様なおかげが受けられると仰る、是は教祖金光大神だけのものではない。と言っても私共が何百年かかったって教祖の信心を頂けるとは思えんけれども、しかしそう言う生神になれる内容を、誰しもが持っておるんだと言う事、生神になると言う事。
今日の御理解で言うと神徳を受けて行くと言う事、いよいよ限りない神徳を。私が食い上がる迄、光橋先生は、繁雄さんに頼みに行った、そのお届けがあってからとに角繁雄さんが、いわゆる私の身辺の御用を、一生懸命なさって下さる事が出来た。光橋先生も安心して、繁雄さんお願いしますと、何時も言うて暮らしながら亡くなった訳です。だから例えば、そんなら繁雄さん、それこそ鍬スコップしか持たれた事のない繁雄さんが、あただに、お茶の稽古でもされようと言う位な、熱のな入れ様であった。
そしてそんなら現在に到った。そうしてその蚕ごさんを、飼わせて頂いておった所がです、秋永先生がみ見てから、窓をパッパッパッと開けて廻る所を、頂いたと言うのが、是がその当時の、お夢でお知らせであった。ですから私にとっては。だから蚕こさんが窓を開けられてから、幾日かヒヤヒヤした思いがしたのは、それであった。けれどもおかげを頂いて、自分の言うなら慢心、又は自分の不行届と言った様な物が、秋永先生にも分かられ、繁雄さんにも分かられ。
そして昨日初めて秋永先生最近、朝参りが出来た、昨日改めて朝の御祈念から繁雄さんが出られる事になった。もう出会いがしらに繁雄さんと秋永先生が会って「おっちゃまどうもすみません」と、もうその辺の時には、なあにもないものであった。そう言う例えば秋永とか久富の間の問題ではなくてです、合楽を中心とする為には名、言うなら支配人として名相方としてです。
ここんところを通らなければ分からない事があったんだと言う事なんです、神様の言わば御演出と言うかの素晴らしさに、何時もの事ながら恐れ入ってしまう、言うならばそれは私にとっても節ならば繁雄さんにとっても節、秋永先生にとっても節であった。その節を言うなら十日間位かかったけれども見事に頂き抜いた所から、芽がでると言うのがおかげなんです。私は神徳を受けられると言う事は、昨日石井喜代司さんが発表しておりました、何時もの事ながら本当に見事な事を言いますね。
最近はあの人は和賀心と言う事をえらい熱心に考えておる様ですねえ、和賀心の賀と言う事、所謂賀正の賀と言う事、是は教祖様は祝い賀ぶ心とこう仰ゃっておられますがね、喜代司さんはこう言う事を言っとりますよ。例えば難儀な問題が起きて来る、その時にですね腹が決まったその先に生まれて来るのが賀の心だと。もう私は手を打ちたい様な思いが致しました、素晴らしい。
賀の心とは、私共が難儀に直面した時に、そん時にです信心によって腹が決まる訳です、ままよ、ままよとは死んでもままよの事ぞと腹が決まる。その決まったその先に生まれて来るのが賀の心だと言う、もう賀の心の究極です此処は。只信心して有難かと言う心も賀の心でしょうけれども、本当の意味においての賀の心とはです、私共例えば今日申します、節なら節に直面した時です、その時にしだごだでそこを通ったんでは駄目だと言う事です。そこの所の節をです。
その節がどう言う難儀であっても、どん腹すえてです腹が決まった時、その向こうにある心が和賀心だと、もう是は本当にそうです、成程おかげを呼ぶ心と言うのが賀の心だと思いました。夕べおかげは和賀心にありと仰せられるが、おかげを呼ぶ心、それは賀の心、賀びの心。その賀の心とは、有難かのやと言うとるだけの物では無くて、もう本当にどうした難儀な事であろうかと、言う時に直面した時にです、腹が決まるしかも、信心によって腹が決まる、それこそ矢でも鉄砲でも持って来いと言う。
信心の度胸も出来る、その先に生まれるのが賀の心であり、安らぎ、いわゆる安心の心であると言う様な事を、昨日喜代司さんが言っております。だから難儀に直面した時にです、いわゆるぐずぐずしておった、節から折れると言う事はポキッと折れると言うのでなくてです、しだごだにすると言う事、勿論ポキッと折れて信心を止めると言う人達も有ります、それはいわゆるポキッと折れた訳ですけれどね、けれども其処の所をしだごだで通ると言う事は、もうそこから芽が出ようがないじゃないか。
何時も堂々廻りである、ぐるぐる廻りである。そう言う信心ではなくて、其処ん所をどん腹据えてです腹が決まった時、そこから生まれて来るのが賀の心であり、いわゆる賀びの心であり、おかげを呼ぶ心である。ですからそう言う節に直面した時にです、私共はお徳を受けていくチャンスに恵まれたと言う事になるのです。ですからその節をいい加減に何時もしとってから、お徳の受けられるはずがないでしょう。
信心すればと、信心すると言う事は神様を信ずると言う事なのですから、どう言う事が起こって参りましてもです、それを神愛と信ずる、その腹がですおかげを呼ぶのです、いやお徳を呼ぶのです、いやお徳そのものはもう此処に一杯、溢れるばかりに有る。その中に浸っているのが私達なのです。だからそう言う体験を積ませて頂くに従ってです、いよいよ成程親神様じゃなあ、親じやなと言う事が分かって来る。
初めて神恩、神徳、御恩徳、天地の御恩の中に有ると言う事の実感が湧いて来る、実感が私共の生き調子の上に生き生きと表れて来る、それを信心生活と言うのだと。そう言う信心になる時成程、此処迄信心が分かり到った時にです、成程誰でも神徳が受けられると言う事になるのじゃないでしょうかね。本当に教祖様は天地の親神様の第一の御信任を受けられた、後にも先にもない程しの御信任を受けられた、その教祖さまが仰るのであるから、嘘を仰ゃってあるはずがない。
誰でもご神徳が受けられるてん、そげん信心する者が誰でも彼でも御神徳を受けておる者はないじゃないか、とそれは今日の御理解で言うと、それは節を大切にしないからだ、と言う事になるのです。只節をしだごだで通るだけだからだと言う事になるのです。その節その時こそ、神様の愈々御信任を受けるチャンスであり、お徳を受けるチャンスだと分からせて頂いて、愈々節を大切にする信心がなされなければ、ならないと思いますね。
どうぞ。